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地域の知恵袋

渋谷区(しぶやく)

渋谷区の写真
面積15.11 km²
人口約23万人
※2019年1月1日時点
隣接市区町村世田谷区/杉並区/港区/新宿区/中野区/目黒区/品川区
地価平均423万4271円 / m²単価
※2019年発表渋谷区の地価公示価格平均値
北側を東西に甲州街道、南側を東西に首都高速3号渋谷線が走っており、その間に代々木公園、明治神宮、国立代々木競技場と都内でも屈指の緑地帯が拡がってます。ビジネス街や商業施設も充実している反面、ファッションや文化の発信地としての側面も持ち合わせています。
現在、渋谷駅前を中心に史上まれに見る「渋谷再開発プロジェクト」が進められており、ティ・エイチ・ライフ渋谷店からは毎日街並みが変わっていく様子を見ることができます。
ちなみに「渋谷」の名前の由来はいくつかの説があり、「塩谷(しおや)の里と呼ばれる入江と呼ばれていたので、(しおや)→(しぶや)に変わった」「渋谷権介盛国と呼ばれていた賊を捕らえた領主が渋谷の姓を与えられた」「川の色が鉄分を多く含んで、赤さび色だったのでシブヤ川と呼ばれていた」「渋谷川流域の低地が、しぼんだ谷あいだった」と諸説あるそうです。

世田谷区(せたがやく)

世田谷区の写真
面積58.05 km²
人口約91万人
※2019年1月1日時点
隣接市区町村杉並区/渋谷区/目黒区/大田区/調布市/三鷹市/狛江市/神奈川県川崎市
地価平均69万0153円 / m²単価
※2019年発表渋谷区の地価公示価格平均値
北側を東西に甲州街道、南側を東西に首都高速3号渋谷線、西側を南北に環八通り、東川を南北に環七通りが走っており、首都高速3号渋谷線には砧公園と駒沢オリンピック公園と緑地帯が広がっています。また神奈川県と接する南側には多摩川が流れており、近隣の住人のランニング・サイクリングコースとして利用されています。
人口は都内で1番目に多く、面積は大田区に次ぐ大きさになります。(1990年代までは東京特別区で最大の面積でしたが、羽田空港用地の拡大により順位が変わりました。)元は室町時代に北条氏が宿場「世田谷新宿」を設け、昭和に入ると世田谷区が誕生、昭和に千歳・砧村が世田谷区に加わり、現在の世田谷区の大きさとなりました。なお、世田谷の由来は諸説あるようで、浅瀬の開拓の意味で「せたかい」、台地の間の狭い小谷の意味で「せとがや(瀬戸ヶ谷)」といった説、世田谷区内の瀬田に由来し、「瀬田の谷地」の意味で「世田ヶ谷戸」の略とする説があるそうです。

大田区(おおたく)

大田区の写真
面積60.83 km²
人口約73万人
※2019年1月1日時点
隣接市区町村江東区/品川区/目黒区/世田谷区/神奈川県川崎市
地価平均62万7693円 / m²単価
※2019年発表大田区の地価公示価格平均値
東西に2本(上から環七通り 環八通り)、南北に7本(左から第二京浜 第一京浜、産業道路 首都高速1号 羽田線 首都高速湾岸線 湾岸道路)と交通網が網の目状に張り巡らされ、神奈川県に接する地域には多摩川が流れています。都内の最南部に位置し一番広い区で、驚くことにその面積の1/3は羽田空港が占めています。城南島海浜公園では、着陸態勢に入っている飛行機や離陸直後の飛行機を真下から迫力のある写真を撮ることができます。
大田区の名前は1947年に大森区と蒲田区が合併した際、「大森」の「大」と「蒲田」の「田」により命名されました。羽田空港へのアクセスが良いので、飛行機での出張や旅の機会が多い方にはオススメです。もちろんそれだけではなく、蒲田のようなノスタルジックな繁華街や黒湯で有名な銭湯、田園調布に代表される閑静な住宅街、自然を感じることができる多摩川河川敷、「ものづくりのまち」を支える町工場など多様性のある街並みが特徴です。

目黒区(めぐろく)

目黒区の写真
面積14.67 km²
人口約28万人
※2019年1月1日時点
隣接市区町村品川区/大田区/世田谷区/渋谷区
地価平均119万5400円 / m²単価
※2019年発表目黒区の地価公示価格平均値
西側を南北に環七通り、東側を南北に山手通りとそれに沿うように目黒川が流れています。世田谷区池尻大橋駅~目黒区太鼓橋の川沿いにはソメイヨシノが植えられ、春になると両岸から目黒川を覆うように桜が咲き誇ります。春の花見と秋のさんま祭りが区を代表する行事となっています。
実は区内を走る路線が5つ、駅が8つと23区内の中で一番駅の数が少ないのですが、区の面積が小さいのと各路線で乗り換えが可能なので、交通の便は悪くありません。ちなみに目黒と言う名前の由来は諸説あり、「馬と畔あぜ道を意味する馬畔(めぐろ)という音から生まれた」という説、「『め』はくぼ地とか谷を、『くろ』は嶺を意味し、目黒川と谷を囲む丘陵地帯から起こった」という説、「馬の牧場があり、黒色の馬 - 驪「くろ」を愛「め」でていた」という説、「目黒不動尊があったから」という説などあるようですが、正確なところは不明なようです。
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